半田和巳という音楽

半田和巳アコースティックライブ 2005-03-12

自主製作映画「足マン」に出会ったのは、去年の11月。カミサンが参加したイベントでの事だった。最初は学生が内輪ノリで作ってるありきたりなオフザケ映画かと思って見始めた…足マンのアフロカツラにサングラス、黒ブリーフのみ着用という風体もイカニモな感じだった。

だが、これが意に反してえらく面白かった!足マンや敵には戦う理由がちゃんとあり(足がくさいとかくさくないとかそういう理由だけど)、その勝敗も納得のいくものだった。ゆるい笑いを誘うギャグの数々も、いわゆる内輪受けに留まらずレベルは高かった。そして、OPとEDに流れるアコースティックな挿入歌も妙にかっこよかったのが印象的だった。

そのイベントの打ち上げで「足マン」の監督である半田和巳氏と話しをした。線の細いシャイな青年で、聞くと挿入歌は半田氏自身が歌ってるという、ひとしきり賞讃して「こんどライブがある時はぜひ声かけてください」とお願いしておいた。 で、期待を込めて訪れた今回のライブ、爽やかなフォークソングを歌う若者の次が半田氏の出番だった。

純白の特攻服でキメた半田氏は、激しいBGMと共に竹刀を振り回しながら入場!BGMにあわせてハンドマイクで絶叫!ひとしきり暴れると、ギターを抱えながらアジりはじめた。(観客を指さしながら)「おい!そこの女!そうだ、そこの女!ちょっとコッチ来い!いいから来い!」女の子が来たがらないでいると、ステージの真ん前にいたボクを指さし「そこの人!そこの青いジャージ!ちょっと、あの子をここに連れてきてくれ」ガーン…でも、モジモジしててもしょうがないので、女の子の所へ行き「あの〜悪いんだけど、一緒に来てくれないかなあ」と頼み、連れて来た。「おい、女!こっちに上がってこい」半田氏の呼びかけに拒否する女の子…気まずい空気が一瞬流れるが、その子の友達の男子が「オ、オレが行くよ」とフォローし、ステージに上がって行く。なんてイケメンな奴だろう…どうにか事態の収拾がついた半田氏は「おい、お前!そこで正座して聞いてろ」上がってきた男子を正座させ、やっとギターを弾きながら歌いはじめる…

情緒的とさえ言えるほど澄んだ半田氏の歌声は、さっきまでの怒鳴り声とのコントラストの中で強く際立ち、聞く人の心を捕らえる。「かき鳴らす」のではなく「つま弾かれ」ているギターの音色からは半田氏の緊張感がピリピリと伝わってきて、こっちまで指先に力が入ってしまう。

たからかに歌い上げられてゆく曲達は、とめどなく溢れる自我を単語で覆い隠すように積み上げられ渦になる。その回転を叩き斬るようにストロークが鳴り響き、高みで砕け飛沫に変わる…

「スルメの唄」

むこうの影からボクを見ているのは誰だろう あっちの窓からボクを見ているのは誰だろう

人目を気にするボクの心はいつもゆがんでいる ちっぽけなこのボクがあがいても何も変わりゃしないのに

空はあまりに広すぎて鳥たちは青に隠されていく 街はあまりに狭すぎて未練がましさだけが渦巻いてる

社会という黒い太陽がボクらをヒビ枯らにさせている 淘汰許された人間がボクらをかじっている

枯れた心に乾いた体ボクらはまるでスルメみたいだ 悲しいスルメは絶えず月の光と水を求めてる

黒いアスファルトのすき間から芽を出してまで花を咲かせたくはない それなら一生「種」のままでいい

たとえ大人になってもオレ達スルメはさまよい歩き続けるだろう 海はどこですか

ライブでの雰囲気は、音源を配布しているサイトで聞いた時よりも良い意味でかなり荒々しく、それでいてピンと張り詰めた繊細な演奏だった。特に印象に残ったのは「スルメの唄」「カエルノウタ」「涙(足マン・エンディングテーマ)」の3曲…ちょっとでも興味を持たれた方は是非、音源を紹介しているサイト【NEXT MUSIC】で視聴してみてください。

ちなみに、正座させられた男子は3曲目が終わるまで忘れられていた…その存在を思い出した半田氏は詫びつつ缶 ビールに挿してあったバラの花一輪を男子に渡し、もう一輪を「さっきはありがとう」とボクに差し出し、自分はそのビールを飲み干して(入ってたのかよ!)演奏を続けた…

「カエルノウタ」を含む後半2曲はレイ・チャールズに扮した友人(スーツとサングラス着用で盲目のパフォーマンスをしながら登場、ステージ前の柵に頭をぶつけるというハイリスク・ローリターンなギャグを演じていた)がピアノで参加し、さらに力強さを増した演奏を聞かせてくれた。アコースティックギターとピアノの組み合わせというと、コード弾きのギターにピアノでメロディをのせる…という形がオーソドックスだが、半田氏は歌いつつアルペジオやカッティングでピアノの伴奏に絡んでゆき、実に抑揚のある音を作りだしていた。

ただ、半田氏がMCで語ったり、歌われている詩の世界でも感じる「大人なんか当てにしないこと。俺達がやるんだ。田舎の大人の偉い奴っちゅうのは馬鹿ばっかだ。それを逆手にとって利用してやればいいのさ。それがうまいやりかたさ※」のようなメッセージは、大人になりすぎたボクはリアルには感じられない。どちらかというと、広告代理店のライターが【反抗的な地方の若者の叫び】をイメージして作ったコピーのように思えてせつない。「小さくて身近で簡単な事の積み重ねが自分自身を、この町を、そして世界を変えてゆくんだ。俺は本気でそう思ってる※」という言葉も、ボクの耳には聞こえるが心に届いてはこない…

もしかしたら半田氏は、全てわかった上で自分に対する所信表明を述べているのかもしれないし、実際その側面 もあるだろう。でも、彼の楽曲は「主張を掲げ、想いを投げつける」事によって自意識を満足させるというレベルではなく「あえて主張は語っていないのに、想いを届ける」事ができる場所に行ける気がする。実際、上記したような「俺達がやるんだ」や「世界を変えてゆくんだ」という言葉は、MCや楽曲よりも「足マン」に対して抱く印象の方に強く感じる事ができたのだから…

アーティストが思ってる以上に受け手の多くは、感受性の触手を作品に絡めそこに自身を没入しようとしているように思う。なぜなら、受け取ったものから得るだけの感動よりも、投げかけられたイメージから真意を発見し、そこに込められたメッセージを自分の中で成熟させた方が感動は大きいからだ。だれもが「気づきたい」し「閃きたい」と思っていて、それが叶った時に「心にとどいた」と実感し、「心が震える」のじゃないだろうか?

半田氏の長くて短いステージが終わり、次のアーティストが出てきた…「スルメの唄」がリフレインしている脳内には、爽やかすぎる歌声が毒に感じられてしまい1曲目の途中で出てきてしまった…

夕方から降り始めた細かい雪の中を歩きながら、捨てるに捨てられずに持ってきた薔薇をポケットから取り出し、鼻先にかざしてみた…ビールくさかった…

 

 

【かずみっくすドットネット】より引用させていただきました。

 

 

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